その4 三条町子

僕の祖父母の年代(現在80歳)でもこの人を識っている人は少ないだろう。昭和24年に「かりそめの恋」で売れたが、その後大きなヒットはなく十年ぐらいで引退したので、「かりそめの恋」だけが残り、歌った三条町子は忘れ去られたのである。しかも彼女はあるチャンス(あくまで僕の主観だが)を逃している。昭和31年に大津美子が歌い、今だに歌い継がれる名曲「ここに幸あり」。実は右の曲、元々は三条町子が歌うことになっていたが、彼女が出産を控えていたため、代わりに当時新人歌手だった大津美子が吹き込んだらしい。もちろん“大津美子の歌声”でヒットしたんだろうけど、僕は三条町子の「ここに幸あり」を聴きたかった。さて三条版がヒットに繋がったかどうかは判らないが、ひょっとこの曲でもう少しスポットが当たっていたら・・・という思いと、素直に彼女が歌ってほしかったという、その二点で、そのタイミングの悪さが残念で堪らない。後年、三条町子も「ここに幸あり」をカヴァーしているが、それはどこまで行ってもカヴァーであって、「借りもの」という意識が拭えない。

一旦引退した三条町子だったが、ナツメロブームに沸く昭和40年代に歌手復帰。歌う歌は決まって「かりそめの恋」。まァ、これよりないのだから仕方ナイ。「東京悲歌」(ト書いてエレジーと読ませる)という中ヒットもあるのだが、きわめて知名度が低い。イイ曲なんだけどなァ・・・。この知名度の低さの原因はメディアにもある。ナツメロ番組では「かりそめの恋」しか歌わせない。これは極めて悪循環を生む。ヒット曲ばかり歌わせる→これを歌わないとウケなくなる→さらにそれしか歌えなくなる、てな具合に・・・。したがって、三条町子の「かりそめの恋」ではなく、「かりそめの恋」の三条町子になってしまったのだ。どーも僕は“かりそめ”っていう言葉が気になってしょーがない。「歌手生命もかりそめ」なンて洒落にならぬ。ちなみに大津美子、「かりそめの恋」をカヴァーしている。お〜い、それまで取るのかァ。尤もこの曲は三条町子でないと歌えないんですけどね。

ところで三条町子の魅力であるが、ズバリあの態度であろう(スタイルとかいう上品な言葉ではナイ)。彼女は歌っているとき、ツーンとすました表情でニコリともしない。早くこんな番組の収録、終わればいいのに。ホントにそんなふてくされた態度だ。哀しい曲を歌うのにあんまりニコニコしながら歌う人もないが、この人のはそうじゃない。元々無愛想なのだ。トーク番組に出ているのを見たことがあるが、自分に話を振られても愛想の欠けらもない上に、ほぼ単語レベルの短っじかいコメント。終始、自分はお姫様だという態度。それも淡谷のり子のような一流歌手特有のものではなく、もっと安ッぽいそれ。つまりは彼女のあの偉そうな振る舞いは歌手、三条町子ではなくて、人間、三条町子に漂うものなのだ。で、僕はソレが大好きなのだ(どないやねん)。何だろう、このトキメキは。何とかこの人を振り向かせてみたい・・・そんな気になる。あまりに魅力的すぎる。無論歌は文句の付け所がない。

このシリーズ、本稿で4回目なのだが、こんな感じでいいのだろうか。