談志と枝雀

一週間前の話になるが、「桂枝雀生誕七十周年落語会」ということで、はるばる名古屋まで行った。追善会とは言えど落語会なので出演者それぞれきちっと一席演じているからそれを一々書く必要があろうが、ゲストに立川談志を出したのが悪かった。その前に出た九雀、雀三郎、南光は全部飛んでしまったのだ。で、別に悪いこととも思っていない。記録を目的とする文章なら許されないが、あくまで記憶なのだから。八月十五日、奇しくも終戦記念日。これほどまで記憶に残る日はないだろう。躊躇なく最高の落語会であった。

南光が「花筏」を演った。いま舞台では花筏の徳さんと千鳥ヶ浜がガッチリ組んだところで、本来ならばこれはサゲへのプロセスであるはずが、談志へのプロセスになってしまった。異様なほど鼓動が速くなり、手足が震え、汗まで噴出してきた。全身が緊張しているのである。「張るのが上手いはずで、提灯屋でございます」とサゲを言い終わった刹那、僕の興奮は絶頂に達し、このサゲとて事務的にしか聴こえなかった。出囃子「木賊刈」が流れ、めくりが「立川談志」になる。場内は一瞬どよめいたが、すぐにピシ―っとした張り詰めた空気に変わる。それは冷気であった。

その寒気漂う中をじらしにじらして談志、登場。舞台の端に立ち場内を見渡したのち、ゆっくりとした足取りで高座へ。万雷の拍手を手で制し、第一声「僕ビョーキなの」。談志はラフなスタイルにはバンダナにメガネが常だが、落語を演る際にはそれを外す。ところがこの日の彼はそうではなかった。はじめて見る談志でありながらこれが最後のような気がしてくる。今日自分は精神的にも体調的にもひどいことを説明し、しきりに寒い寒いと言う立川談志は、僕が想像していた以上にはるかに衰弱していた。長年ずっと見てきたわけではなが、その姿そのものに淋しさを感じた。

数日前、談志の元に一通の手紙が届く。相手は枝雀ファンの女性だった。「今回は枝雀師匠のためにご出演くださりありがとうございます」と、ここまではよかったらしい。しかし「どうか天国の枝雀師匠にエールを送ってやってください」という一文を読んだ途端、談志はガラっと変わった。「何で俺があんなやつにエールを送らなきゃなんねェんだ。向こうが俺に送れ」。その話題のあと、枝雀については「あいつとはマトモに喋ったことがない。いつも俺から逃げていた」と言ったのが最後で、落語に入ってしまった。おそらく会場に来ていただろう手紙の主を含め枝雀ファンにとっては、この談志の態度には憤怒を禁じえなかったであろう。

中入り後はビデオ落語で枝雀の「つる」。僕はこの人は天才であったと思うし、病的なほど緻密に分析された芸は認めるのだが、しかし好みではない。枝雀を聴きはじめたのは米朝に心酔したずっとあとで、この完全無欠の米朝落語をいかに変化させるか、の興味からであった。たしかに面白いのでしばらく色々と聴いていたのだが、また聴かなくなっていた。で、「つる」である。「この咄には落語のテクニックが集約されている」とは米朝の言葉だが、僕はそれと同時に、枝雀落語の集大成こそ「つる」だと思った。千五百に届く人数と共に、映像にうつる落語を見て何が愉しいのだろうと、ビデオ落語なる慣例を馬鹿にしてきたのだが、愉しかったことをこれまた認めなくてはならない。談志が全部持って行った会場の空気を、それも含めて枝雀がまた奪っさらったようである。

スクリーンが上がって、いまの落語を胸に枝雀の想い出を語る座談会。舞台には南光、雀三郎、それからざこば。三人は二つの床几に向かい合って坐るが、ざこばの横が一人分空いている。と、舞台袖から談志がタップを踏みながら登場。この「出」は、さっきの落語のそれとは対照的で、着物も脱いでいる。南光が、談志にいまの落語について聴く。ごく当然のことだ。だが、この当たり前の質問がその後の事態を招く導火になる。「ごらんになられてどうでしたか」「あれ見て愉しいか。不愉快極まりないね、あの口調が」。枝雀の落語でイイムードになっていた会場の空気がまたいっぺんに変わった。トいうか、凍りついた。

「枝雀は米朝の落語を継ぐであろう人材であった。だが、彼は落語にナンセンスを入れようとした。円生はイヤ、志ん生もイヤ、三木助はもっとイヤ、といって談志なら中途半端と、自身の形式を作った。しかし一方で、名人になる過程である、小米時代の落語にも未練があったように思う」というのが談志の主張なのだが、横で真摯に話を聴いていたざこばが反論。ざこばは談志が好きで、上京の際、寄席の楽屋をよくに訪ねたという。が、枝雀兄ちゃんのことはもっと好きだから、「師匠、お言葉ですが」と枝雀落語のよさ、また今しがたそれを否定した談志への苛立ちを訴えた。ざこばは泣いていたように思う。

談志はその一つ一つに対し丁寧に答え、自らの落語論を展開する。「じゃあ師匠が今日演らはったのは、あれは落語なんですか」。ざこばはそう言った。談志は今日、落語の部分々々を脈絡なく繋ぎ合わせた題して「落語チャンチャカチャン」と、ジョークを3つばかりやって降りたが、それを指摘されたのである。そのとき客席から「ざこばさん頑張って」の声がかかる。きっとさっきの手紙の女性かもしれない。談志はいまの問いに、「落語に決まってるじゃねーか。誰が演ってると思ってんだ」。さらには「俺は自分自身のために落語を演ってんだ。自分が作り上げたものが通用するかどうかを客に試している」とも。

この考えは僕、大好きである。もちろん芸をやってお金を貰っているのだからその意味では客にへりくだる必要があるが、芸にそれは要らないと思う。落語だけではなく芸術というのは、「自己満足に対する需要」が理想なのだから。しかし「解るやつだけに解りゃイイ」とふんぞり返りながらも、どの演者よりも客を大事にし、客への配慮を欠かさないのが談志なのである。誰かがホールの方に言ったのだろう、スピーカーの調子が悪いので演者の声が聴き取りにくい、というのを談志は気がかりにしていて、再度客席に問いかけた。また自身の落語の最中(ことにマクラ)は、観客全体に視線を注ぎ、僕は二階席だったのだがそのおかげで、最前列で見ている錯覚さえ起こった。音響と喧嘩をしてまでマイクロフォンの位置、音量に拘った米朝しかり、この談志しかり、やはり名人たる所以は芸の外に、こんなところにもある。

終始、枝雀を否定し続けた談志。だが、じっさいは誰よりもその芸を認めているはずである。そうでなければ、病躯を押してわざわざ駆けつけるものか。月並みの「惜しい人を亡くしました」なんかよりも何十倍、何百倍も誠心誠意、魂の入った言葉。手紙でお願いされた「枝雀へのエール」、僕はこれに談志は応えたと思う。実は、落語会の最中、時おり男性の話し声が会場内に響いていた。僕は枝雀が来ていたと信じている。誕生会らしく、「師匠、おめでとうございます」で幕を閉じた落語会。ホールの出口に貼ってあったポスターの枝雀が笑っていた。