ワッハ上方

ワッハ上方」という施設がある。またの名を(いや正式名か)「上方演芸資料館」。その名の通り、上方の演芸にゆかりのある品々を展示してある。橋本知事がこれを移転するとかしないとかでニュースにも出たので、ご存じの方も多いと思う。トこう書くとまるで「私の仕事館」と同じ扱いだ。あんなものと一緒にされたくない。高1の遠足で僕らはそこへ行った。いくつかの班に分かれてそれぞれ「仕事」を体験するのだが、僕の班は「消防士」であった。「消防士になって消火活動をする」と聴いていたので、ほんとうに消しに行くのかと期待していたら、バーチャル映像だった。向こうはバーチャルと言っているのでそのまま使わせてもらったが、そんなものとは程遠い、ただの映像である。そいつに水の出ないホースを向けて火を消すのだ。たぶん感度が悪いのだろう、なかなか反応しない。それを横に付いていた指導員みたいなオッサンに「ちゃんとやれ」と叱られた。僕も無反応に徹していたが、あんなあほらしいものはない。即刻潰すべきだ。

話が大幅に反れた。で、ワッハ上方である。仕事館と比べなくてもこんなにすばらしい施設はない。砂川捨丸の鼓(これが開館のきっかけになった)をはじめてとして芸人さんの舞台衣装、愛用の小道具、在りし日の写真、等々の展示がメインなのだろうが、僕の目的はそっちじゃない。「演芸ライブラリー」と称するコーナーがあり、演芸の映像や音源のテープを自由に閲覧できる。しかも驚くことに無料だ。市販されているものもあるが、ほとんどが過去に放送された番組の記録なので、ここでしか見、聴きできないものばかり。その数は膨大であり、僕は大学に入った頃から暇があればワッハ上方に通っているが、まだまだ十分の一も見切れていないと思う。月並みだがこの空間に居ると時間を忘れる。そしてその都度、演芸に心底惚れている自分を知る。ワッハ上方ジュンク堂の階上に位置する。また本屋が演芸関連の本の品揃えが半端でなく、絶版になった本でも見つかる。ライブラリーで至芸を堪能したあと、本屋に立ち寄ると必ず何か買ってしまう。

「和朗亭」なる番組がある。頭に「米朝ファミリー」と付く。寄席小屋を再現したスタジオで桂米朝がナビゲーターになり、生き残っていたむかしの芸人さんにもう一度スポットを当て、とにかくおもしろい芸を紹介した伝説の番組。広澤瓢右衛門という浪曲師なんか、この番組で人気に火が付いて、なんと八十を過ぎてから売れ出した。米朝上方落語を復活させるのみならず、「古いもの」なら構わず何でも新しくした。それも赤子の手を捻るが如くいとも容易く。天才としか言いようがない。僕はワッハでこの番組(何本も保存されている)を見るようになったために、知る由もない古い芸人さんたちを識ることができた。ちょっと書き出しても、いまの広澤瓢右衛門、桜川末子・松鶴家千代八浮世亭夢丸、吾妻ひな子、柳家三亀坊、桜山梅夫桜津多子、香美喜利平(このひと大好きだ)、山崎正三、江戸家猫三……等々。こんなおもしろいものがあったんだ、とカルチャーショックを受けたほど。

こういうものを映像に残してくれたことは嬉しいことだけれど、この時代に生まれたかったなとそれがいつも残念。歌謡曲についても同じことを思うが、どうも僕は生まれるのが少なくとも五十年は遅かったような気がして仕方ない。米朝の昔話を聴いたり、正岡容の寄席随筆を読んだりすると、なおさらその時代に思いが馳せる。見ていないからこそ幻影は僕の脳裏を占領し、タイムマシーンがあって過去に行けるならば迷わず、戦火で焼ける前の寄席へ直行するだろう。若干僕の恋する寄席とはちがうのだが、「繁昌亭」には頑張ってもらいたい。あとワッハ上方は絶対畳んではだめです。潰すのならあそこにある資料を全部下さい。あ、「私の仕事館」は消すべきですよ(いつまで言うねん)。少なくともあの消防士の体験コーナーは。国が行動を起さない場合は、自ら行きます……って俺は死刑の判決が出なかった遺族か。