その4 三条町子

僕の祖父母の年代(現在80歳)でもこの人を識っている人は少ないだろう。昭和24年に「かりそめの恋」で売れたが、その後大きなヒットはなく十年ぐらいで引退したので、「かりそめの恋」だけが残り、歌った三条町子は忘れ去られたのである。しかも彼女はあるチャンス(あくまで僕の主観だが)を逃している。昭和31年に大津美子が歌い、今だに歌い継がれる名曲「ここに幸あり」。実は右の曲、元々は三条町子が歌うことになっていたが、彼女が出産を控えていたため、代わりに当時新人歌手だった大津美子が吹き込んだらしい。もちろん“大津美子の歌声”でヒットしたんだろうけど、僕は三条町子の「ここに幸あり」を聴きたかった。さて三条版がヒットに繋がったかどうかは判らないが、ひょっとこの曲でもう少しスポットが当たっていたら・・・という思いと、素直に彼女が歌ってほしかったという、その二点で、そのタイミングの悪さが残念で堪らない。後年、三条町子も「ここに幸あり」をカヴァーしているが、それはどこまで行ってもカヴァーであって、「借りもの」という意識が拭えない。

一旦引退した三条町子だったが、ナツメロブームに沸く昭和40年代に歌手復帰。歌う歌は決まって「かりそめの恋」。まァ、これよりないのだから仕方ナイ。「東京悲歌」(ト書いてエレジーと読ませる)という中ヒットもあるのだが、きわめて知名度が低い。イイ曲なんだけどなァ・・・。この知名度の低さの原因はメディアにもある。ナツメロ番組では「かりそめの恋」しか歌わせない。これは極めて悪循環を生む。ヒット曲ばかり歌わせる→これを歌わないとウケなくなる→さらにそれしか歌えなくなる、てな具合に・・・。したがって、三条町子の「かりそめの恋」ではなく、「かりそめの恋」の三条町子になってしまったのだ。どーも僕は“かりそめ”っていう言葉が気になってしょーがない。「歌手生命もかりそめ」なンて洒落にならぬ。ちなみに大津美子、「かりそめの恋」をカヴァーしている。お〜い、それまで取るのかァ。尤もこの曲は三条町子でないと歌えないんですけどね。

ところで三条町子の魅力であるが、ズバリあの態度であろう(スタイルとかいう上品な言葉ではナイ)。彼女は歌っているとき、ツーンとすました表情でニコリともしない。早くこんな番組の収録、終わればいいのに。ホントにそんなふてくされた態度だ。哀しい曲を歌うのにあんまりニコニコしながら歌う人もないが、この人のはそうじゃない。元々無愛想なのだ。トーク番組に出ているのを見たことがあるが、自分に話を振られても愛想の欠けらもない上に、ほぼ単語レベルの短っじかいコメント。終始、自分はお姫様だという態度。それも淡谷のり子のような一流歌手特有のものではなく、もっと安ッぽいそれ。つまりは彼女のあの偉そうな振る舞いは歌手、三条町子ではなくて、人間、三条町子に漂うものなのだ。で、僕はソレが大好きなのだ(どないやねん)。何だろう、このトキメキは。何とかこの人を振り向かせてみたい・・・そんな気になる。あまりに魅力的すぎる。無論歌は文句の付け所がない。

このシリーズ、本稿で4回目なのだが、こんな感じでいいのだろうか。

「ホントに好きなの?」

「評価はするけど好みではない」というフレーズを僕も使うが、自分でも曖昧なところがある。いやむしろ曖昧にするための表現なのかもしれないが、評価と趣味は果たして分離できるものなのか、ということである。「あの子は美人だ、しかし嫌いな顔だ」これは日常会話だが、こういう考え方は存在するのかどうか。つまり「美人だ」とは評価であり、「嫌いな顔だ」は趣味である。ズバリ有り得るだろう。しかしその「美人だ」とハジメに断りを入れるところに、僕は「逃げ」があるように思う。“あなたはあの人の魅力も解らないの?”からの逃げ。尤も「美人だ」とか「綺麗だ」とか「上手い」とかの評価は客観性が高いので、そこに多少趣味が入ろうとも大方分離はできていると思う。

ところが「あの子はカワイイ、でも嫌いだ」は、ちとオカシイ。「美人だ」と違って、「カワイイ」というのは主観的評価。どういうものをカワイイと呼ぶのかは人それぞれだが、何にしろその感情が基準値を超えているのは確かだ。それは必ず好意的であると思う。「美味しいけどキライ」こんなことは有り得るのだろうか。僕は甘いものやフルーツが大嫌いなのだが、これらを旨いと思ったことは一度もない。完全に、評価=趣味の世界なのである。でもそれが歌や芝居になると、はじめの「美人」の話に戻る。「レミオロメンは上手いが好みでなく、ゴーイングアンダーグラウンドは下手だが好み」ということが事実ある。くどいがこれは評価と趣味のセパレートによるもので、評価の項目が上手下手でなくて“スバラシイ”とかなら成立しない。嫌いであると同時に、または嫌いになった瞬間に、“何がスバラシイんだあんなモン”とこうなる。…何が好きか判らなくなってきた。

談志と枝雀

一週間前の話になるが、「桂枝雀生誕七十周年落語会」ということで、はるばる名古屋まで行った。追善会とは言えど落語会なので出演者それぞれきちっと一席演じているからそれを一々書く必要があろうが、ゲストに立川談志を出したのが悪かった。その前に出た九雀、雀三郎、南光は全部飛んでしまったのだ。で、別に悪いこととも思っていない。記録を目的とする文章なら許されないが、あくまで記憶なのだから。八月十五日、奇しくも終戦記念日。これほどまで記憶に残る日はないだろう。躊躇なく最高の落語会であった。

南光が「花筏」を演った。いま舞台では花筏の徳さんと千鳥ヶ浜がガッチリ組んだところで、本来ならばこれはサゲへのプロセスであるはずが、談志へのプロセスになってしまった。異様なほど鼓動が速くなり、手足が震え、汗まで噴出してきた。全身が緊張しているのである。「張るのが上手いはずで、提灯屋でございます」とサゲを言い終わった刹那、僕の興奮は絶頂に達し、このサゲとて事務的にしか聴こえなかった。出囃子「木賊刈」が流れ、めくりが「立川談志」になる。場内は一瞬どよめいたが、すぐにピシ―っとした張り詰めた空気に変わる。それは冷気であった。

その寒気漂う中をじらしにじらして談志、登場。舞台の端に立ち場内を見渡したのち、ゆっくりとした足取りで高座へ。万雷の拍手を手で制し、第一声「僕ビョーキなの」。談志はラフなスタイルにはバンダナにメガネが常だが、落語を演る際にはそれを外す。ところがこの日の彼はそうではなかった。はじめて見る談志でありながらこれが最後のような気がしてくる。今日自分は精神的にも体調的にもひどいことを説明し、しきりに寒い寒いと言う立川談志は、僕が想像していた以上にはるかに衰弱していた。長年ずっと見てきたわけではなが、その姿そのものに淋しさを感じた。

数日前、談志の元に一通の手紙が届く。相手は枝雀ファンの女性だった。「今回は枝雀師匠のためにご出演くださりありがとうございます」と、ここまではよかったらしい。しかし「どうか天国の枝雀師匠にエールを送ってやってください」という一文を読んだ途端、談志はガラっと変わった。「何で俺があんなやつにエールを送らなきゃなんねェんだ。向こうが俺に送れ」。その話題のあと、枝雀については「あいつとはマトモに喋ったことがない。いつも俺から逃げていた」と言ったのが最後で、落語に入ってしまった。おそらく会場に来ていただろう手紙の主を含め枝雀ファンにとっては、この談志の態度には憤怒を禁じえなかったであろう。

中入り後はビデオ落語で枝雀の「つる」。僕はこの人は天才であったと思うし、病的なほど緻密に分析された芸は認めるのだが、しかし好みではない。枝雀を聴きはじめたのは米朝に心酔したずっとあとで、この完全無欠の米朝落語をいかに変化させるか、の興味からであった。たしかに面白いのでしばらく色々と聴いていたのだが、また聴かなくなっていた。で、「つる」である。「この咄には落語のテクニックが集約されている」とは米朝の言葉だが、僕はそれと同時に、枝雀落語の集大成こそ「つる」だと思った。千五百に届く人数と共に、映像にうつる落語を見て何が愉しいのだろうと、ビデオ落語なる慣例を馬鹿にしてきたのだが、愉しかったことをこれまた認めなくてはならない。談志が全部持って行った会場の空気を、それも含めて枝雀がまた奪っさらったようである。

スクリーンが上がって、いまの落語を胸に枝雀の想い出を語る座談会。舞台には南光、雀三郎、それからざこば。三人は二つの床几に向かい合って坐るが、ざこばの横が一人分空いている。と、舞台袖から談志がタップを踏みながら登場。この「出」は、さっきの落語のそれとは対照的で、着物も脱いでいる。南光が、談志にいまの落語について聴く。ごく当然のことだ。だが、この当たり前の質問がその後の事態を招く導火になる。「ごらんになられてどうでしたか」「あれ見て愉しいか。不愉快極まりないね、あの口調が」。枝雀の落語でイイムードになっていた会場の空気がまたいっぺんに変わった。トいうか、凍りついた。

「枝雀は米朝の落語を継ぐであろう人材であった。だが、彼は落語にナンセンスを入れようとした。円生はイヤ、志ん生もイヤ、三木助はもっとイヤ、といって談志なら中途半端と、自身の形式を作った。しかし一方で、名人になる過程である、小米時代の落語にも未練があったように思う」というのが談志の主張なのだが、横で真摯に話を聴いていたざこばが反論。ざこばは談志が好きで、上京の際、寄席の楽屋をよくに訪ねたという。が、枝雀兄ちゃんのことはもっと好きだから、「師匠、お言葉ですが」と枝雀落語のよさ、また今しがたそれを否定した談志への苛立ちを訴えた。ざこばは泣いていたように思う。

談志はその一つ一つに対し丁寧に答え、自らの落語論を展開する。「じゃあ師匠が今日演らはったのは、あれは落語なんですか」。ざこばはそう言った。談志は今日、落語の部分々々を脈絡なく繋ぎ合わせた題して「落語チャンチャカチャン」と、ジョークを3つばかりやって降りたが、それを指摘されたのである。そのとき客席から「ざこばさん頑張って」の声がかかる。きっとさっきの手紙の女性かもしれない。談志はいまの問いに、「落語に決まってるじゃねーか。誰が演ってると思ってんだ」。さらには「俺は自分自身のために落語を演ってんだ。自分が作り上げたものが通用するかどうかを客に試している」とも。

この考えは僕、大好きである。もちろん芸をやってお金を貰っているのだからその意味では客にへりくだる必要があるが、芸にそれは要らないと思う。落語だけではなく芸術というのは、「自己満足に対する需要」が理想なのだから。しかし「解るやつだけに解りゃイイ」とふんぞり返りながらも、どの演者よりも客を大事にし、客への配慮を欠かさないのが談志なのである。誰かがホールの方に言ったのだろう、スピーカーの調子が悪いので演者の声が聴き取りにくい、というのを談志は気がかりにしていて、再度客席に問いかけた。また自身の落語の最中(ことにマクラ)は、観客全体に視線を注ぎ、僕は二階席だったのだがそのおかげで、最前列で見ている錯覚さえ起こった。音響と喧嘩をしてまでマイクロフォンの位置、音量に拘った米朝しかり、この談志しかり、やはり名人たる所以は芸の外に、こんなところにもある。

終始、枝雀を否定し続けた談志。だが、じっさいは誰よりもその芸を認めているはずである。そうでなければ、病躯を押してわざわざ駆けつけるものか。月並みの「惜しい人を亡くしました」なんかよりも何十倍、何百倍も誠心誠意、魂の入った言葉。手紙でお願いされた「枝雀へのエール」、僕はこれに談志は応えたと思う。実は、落語会の最中、時おり男性の話し声が会場内に響いていた。僕は枝雀が来ていたと信じている。誕生会らしく、「師匠、おめでとうございます」で幕を閉じた落語会。ホールの出口に貼ってあったポスターの枝雀が笑っていた。

その3 村田英雄

強さと優しさを持っていて、はじめて「男」と呼ぶ。僕はこの二つとも欠如しているので、男児失格である。その僕も村田英雄を歌えば男らしくなる。

出世作「王将」。あまりにヒットしたので歌番組に出たらコレばっかり。外にもイイのがいっぱいあるのに。「これ一曲で食って行ける」という了見の歌手ならよいが、僕が歌手なら大ヒットを出すのも一概に幸せと言えないかもしれぬ。でもやっぱり「王将」は素晴らしい。僕は世間なんか信用していないので、ヒット曲=名曲というのではない。素直にイイ曲だと思うのだ。「王将」のレコードには2つのバージョンがあって、1つは昭和36年発売で「小春月夜」とカップリングのやつ。もう1つは、これは発売年が判らないのだが数年後にステレオで入れ直したやつ。いずれもコロムビアから出ている。で、僕は後者の録音が好き。セルフカバーなので上手くなっているのは当然だが、2番の歌い方が若干異なるのだ。いや若干じゃナイ。大変な違いだ。曰ク、「愚痴も言わずに女房の小春」の「こ〜はる〜」のところである。ここが1番あるいは3番と明らかに歌い方を変えているのだ。昭和36年版にはそれがない。実際に聴いてもらわないと判らないのだが、どういうことかというとその「こ〜はる〜」がとてつもなく優しさに満ちているのだ。1番の「八百八橋」、3番の「通天閣に」は如何にも男っぽい。ところが2番の「こ〜はる〜」には妻への愛情がこもっている。文章で説明するのはむずかしいというか不可能。いっぺん聴いてみてください。ベストアルバムに入ってたりして出回ってる「王将」はほとんどがこのバージョンなので。ステキな文句なので歌詞を書かせていただく。

「あの手この手の思案を胸に
 やぶれ長屋で今年も暮れた
  愚痴も言わずに女房の小春(ココ!)
   作る笑顔がいじらしい」

まッたく妻の鑑のような人だ。ただこんな女房を持つには、夫の方もそれに準じた男でなくてはならない。そうでないと、「付いて来いとは言わぬのに、だまって後から付いてきた」りはしない(この歌詞は「夫婦春秋」だけど)。「王将」の主人公は坂田三吉だが、村田英雄もイイ男だったと思う。器量のことじゃナイ。内容だ。器とでも言おうか。村田もイイ男だったが、田端義男とかディックミネなんか、もっと男前なのです。ディックミネは「交通整理のできないやつは女を作るな」と言っている。先だって惜しくも故人となったフランク永井は、この三人とはタイプが違う。それが災いしてしまったンだろうけど。話が逸れた。イケイケ村ちゃん(清水アキラが言ってた)の話だった。

「王将」は村田の男らしさと優しさとが共存した名作だが、優しさの部分だけを全面に押し出したのが「夫婦春秋」である。はじめ、「夫婦心中」かと思っていた。ま、あながち間違いでもなかろう。これもバージョンが2つあります。コロムビアから出た昭和42年版と、また正確な発売年が判らないのだが昭和50年代と予想されるもの。こちらは東芝EMIから出た。「桂米朝上方落語大全集」「特選!!米朝落語全集」シリーズを手がけた素晴らしいレコード会社です。それはイイとして、この2つ、つまりは「王将」ヒットで少し名前が売れ出した頃の村田と、円熟味の加わったことの村田だ。これは甲乙付けがたい。どちらもタマラナイ。まァ、強いて選ぶなら、50年代バージョンか。「夫婦春秋」は42年の発売当初、あまり売れなかった。50年代に有線で指示され注目されたのだ。この曲のヒットに連動して「夫婦酒」という曲もヒット。コレも圭作だ。しかし「夫婦春秋」には敵わない。メロディ、歌詞は無論イイのだが、とど、ラストの「おまえ〜」には歯が立たないのであります。これまた知らない人には何のことかワカラナイ。なので、また歌詞を掲載。これも二番がよろしい。

「愚痴も涙もこぼさすに
 貧乏おはこと笑ってた
  そんな強気のお前がいちど
   やっとおいらに日が射した
    あの日涙をこぼしたなァ
    ……おまえ(ココ、ココ!!)」

村田の作品のみならず、外国は知らないけど日本の歌謡曲でこんな技法を用いたのは「夫婦春秋」が最初で最後ではないだろうか。ステージで歌うとき、村田はこの「おまえ〜」を思いっきりカメラ目線で歌う。客席を回って歌ったときがあった。普通ならカメラに向かって「やる」のだが、そこはサービス満点の村田センセイ。一人のおばあちゃんを掴まえ、その目を見つめて「おまえ〜」とやった。おばあちゃんは恥ずかしさに顔を真っ赤にした。日本中でと言いたいが世界中でこれほどスバラシイ「お前」の呼びかけはないだろう。いや、ナイ!断言する。このごろ夫や彼氏から「お前」と呼ばれることを嫌がっているやつが多いが、そいつらはこれを聴いて改心しなさい。いやまてよ……僕みたいにふにゃふにゃした草食男子に言われたくないのかもしれない。よし!お前と呼んで喜ばれるような男になろう。でもどうやったらなれるんだろう。ママに相談しようっと。……ふざけてゴメンナサイ。しかし春日八郎、三橋美智也三波春夫、村田英雄、みんな死んでしまった。四人とも素晴らしかった。そして四人とも死ぬ年じゃなかった。美空ひばりばッかりではないくて、たまにはこの四人にもスポットライトを当ててほしいなァ。ホントそう思います。

ワッハ上方

ワッハ上方」という施設がある。またの名を(いや正式名か)「上方演芸資料館」。その名の通り、上方の演芸にゆかりのある品々を展示してある。橋本知事がこれを移転するとかしないとかでニュースにも出たので、ご存じの方も多いと思う。トこう書くとまるで「私の仕事館」と同じ扱いだ。あんなものと一緒にされたくない。高1の遠足で僕らはそこへ行った。いくつかの班に分かれてそれぞれ「仕事」を体験するのだが、僕の班は「消防士」であった。「消防士になって消火活動をする」と聴いていたので、ほんとうに消しに行くのかと期待していたら、バーチャル映像だった。向こうはバーチャルと言っているのでそのまま使わせてもらったが、そんなものとは程遠い、ただの映像である。そいつに水の出ないホースを向けて火を消すのだ。たぶん感度が悪いのだろう、なかなか反応しない。それを横に付いていた指導員みたいなオッサンに「ちゃんとやれ」と叱られた。僕も無反応に徹していたが、あんなあほらしいものはない。即刻潰すべきだ。

話が大幅に反れた。で、ワッハ上方である。仕事館と比べなくてもこんなにすばらしい施設はない。砂川捨丸の鼓(これが開館のきっかけになった)をはじめてとして芸人さんの舞台衣装、愛用の小道具、在りし日の写真、等々の展示がメインなのだろうが、僕の目的はそっちじゃない。「演芸ライブラリー」と称するコーナーがあり、演芸の映像や音源のテープを自由に閲覧できる。しかも驚くことに無料だ。市販されているものもあるが、ほとんどが過去に放送された番組の記録なので、ここでしか見、聴きできないものばかり。その数は膨大であり、僕は大学に入った頃から暇があればワッハ上方に通っているが、まだまだ十分の一も見切れていないと思う。月並みだがこの空間に居ると時間を忘れる。そしてその都度、演芸に心底惚れている自分を知る。ワッハ上方ジュンク堂の階上に位置する。また本屋が演芸関連の本の品揃えが半端でなく、絶版になった本でも見つかる。ライブラリーで至芸を堪能したあと、本屋に立ち寄ると必ず何か買ってしまう。

「和朗亭」なる番組がある。頭に「米朝ファミリー」と付く。寄席小屋を再現したスタジオで桂米朝がナビゲーターになり、生き残っていたむかしの芸人さんにもう一度スポットを当て、とにかくおもしろい芸を紹介した伝説の番組。広澤瓢右衛門という浪曲師なんか、この番組で人気に火が付いて、なんと八十を過ぎてから売れ出した。米朝上方落語を復活させるのみならず、「古いもの」なら構わず何でも新しくした。それも赤子の手を捻るが如くいとも容易く。天才としか言いようがない。僕はワッハでこの番組(何本も保存されている)を見るようになったために、知る由もない古い芸人さんたちを識ることができた。ちょっと書き出しても、いまの広澤瓢右衛門、桜川末子・松鶴家千代八浮世亭夢丸、吾妻ひな子、柳家三亀坊、桜山梅夫桜津多子、香美喜利平(このひと大好きだ)、山崎正三、江戸家猫三……等々。こんなおもしろいものがあったんだ、とカルチャーショックを受けたほど。

こういうものを映像に残してくれたことは嬉しいことだけれど、この時代に生まれたかったなとそれがいつも残念。歌謡曲についても同じことを思うが、どうも僕は生まれるのが少なくとも五十年は遅かったような気がして仕方ない。米朝の昔話を聴いたり、正岡容の寄席随筆を読んだりすると、なおさらその時代に思いが馳せる。見ていないからこそ幻影は僕の脳裏を占領し、タイムマシーンがあって過去に行けるならば迷わず、戦火で焼ける前の寄席へ直行するだろう。若干僕の恋する寄席とはちがうのだが、「繁昌亭」には頑張ってもらいたい。あとワッハ上方は絶対畳んではだめです。潰すのならあそこにある資料を全部下さい。あ、「私の仕事館」は消すべきですよ(いつまで言うねん)。少なくともあの消防士の体験コーナーは。国が行動を起さない場合は、自ら行きます……って俺は死刑の判決が出なかった遺族か。

その2 春日八郎

三橋美智也と同様、昭和三十年代、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。三橋は民謡上がり(差別しているのではありません)なので、純粋に歌唱力だけ見れば春日八郎の方が上。でもヒット曲では足許にも及ばなかった。三橋美智也のヒット曲集などに入っている曲は、ホントに一世を風靡したものばかりだから誰もが口ずさめる。しかし春日のそれは、「春日八郎の中ではヒット」程度なので、よほどのファンでないと識らない曲ばかり。六枚組みのCDが出たとき、そのほとんどがカバー曲、つまり他人の歌だった(もっとも彼はどんな歌でもこなしたのだが)。それだけオリジナルのヒットが少ない。いや、これは三橋と較べるからで、普通の歌手というのは2、3曲あれば十分だ。僕はコブクロが好きで色々と識っているが、ぜんぜん興味のない友達に聴いたら、レコード大賞を取った「蕾」より識らないという。まあ、そんなもんだろう。でも後輩に(春日の方がデビューが先だった)あんなスゴイのが来たらさぞかし焦ったろうと思う。いや「ヒットさせればイイってもんじゃないよ」と開き直っていたか。

全盛期は今言うようにヒットでは到底三橋に敵わなかったが、春日が明らかに「どんなもんじゃい」とふんぞり返ったのは、晩年だった。三橋美智也は四十年代にはもう燃え尽きていて、映像が多く残っている五十年代にはもう往年の輝きはなく、ただ「三橋美智也」のブランドだけでステージを務めていた。亡くなる直前の「夕焼けとんび」の映像があるが、かわいそうになるくらいである。その点、春日八郎は衰えなど全く見せず、むしろ年々進化して行った。同じく最晩年にヒット曲「長崎の女」を歌う映像があるが、少なくともあと10年は歌える……それほど光を放っていた。祖父は彼が大好きで、「こんな上手いひとは100歳ぐらいまで生きてほしい」と言うが、ホントその通り。ただただ惜しい。せめてリアルタイムで歌声が聴きたかった。

春日は福島県出身で、トークなどでは少々訛る。それがイイ。もちろんヒット曲の「赤いランプの終列車」「山の吊橋」「別れの一本杉」「あン時やどしゃ降り」は外せないが、僕の捻くれた趣味的なことも関係するけど、むしろ中ヒットか全然浸透しなかった曲の方が好きだ。それらの歌たちには、どこか野原に咲いた草花を連想させる。花屋にあるように花とちがい、脚光を浴びることはないが、僕は名もなき花にこそ愛おしさを感じるし、花の本質(こんなものがあるのか知らないが)はそっちにあるように思う。曰く「ごめんヨかんべんナ」「別れの波止場」「瓢箪ブキ」「妻恋峠」、ことに「小雨の駅にベルが鳴る」なんて、何故これがヒットしなかったのだろうと、当時のひとの感性を疑うほどの名曲。ひょっとしたら同系統の「赤いランプの終列車」よりすばらしいかもしれぬ。

カバー曲の話をしたが、春日八郎歌う「星影のワルツ」なんて千昌夫の比じゃナイ。いっとき僕は世の中の曲を全部、彼が歌えばイイのに……と思ったほど。徳永英明がカバー曲集を出したが、これの元祖は八っちゃんである。つまり、いい曲に恵まれなかった。いや、いい曲を歌ったけれど世間にウケなかったのだ。何も解っちゃいない。僕は大好きである。

恋しているんだもん

いまの島倉千代子がそう歌っても気持ちが悪いのに、たぶんこれを読んでる人は戦慄モノであると思う。ま、それはいいとして、僕は今日まで叶わず恋ばッかりしてきた。恋多き男デアル。で、思ったのだが、恋というのは異性に対してのみではない。ト言っても、同性に興味があるのではないのでゴメンナサイ(誰に謝っているんだ?)。あらゆるひと、いや生命を持たぬ物体、いや思想に及ぶまで、「好き」という感情を超えるとそれは「恋」になる。つまり、「寝ては夢、起きてはうつつ幻の……」というアレ。どうにかしたくなるわけです。女の子を相手の恋ならば、たとえ叶わなくたってオナニーで済むのだが、いくら好きでもたとえば「だんじり」をオカズにはヌケない。したがって余計に思いがつのるわけです。「会いたさ六寸、見たさが四寸、積もり積もりてシャクとなる」ってオツな文句があるけれど、どうすりゃイイのか判らなくなるのである。考えないようにすればするほど、尚更恋焦がれるので、こうなりゃ飽きるまでそれに興じるより途はない。