その2 春日八郎

三橋美智也と同様、昭和三十年代、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。三橋は民謡上がり(差別しているのではありません)なので、純粋に歌唱力だけ見れば春日八郎の方が上。でもヒット曲では足許にも及ばなかった。三橋美智也のヒット曲集などに入っている曲は、ホントに一世を風靡したものばかりだから誰もが口ずさめる。しかし春日のそれは、「春日八郎の中ではヒット」程度なので、よほどのファンでないと識らない曲ばかり。六枚組みのCDが出たとき、そのほとんどがカバー曲、つまり他人の歌だった(もっとも彼はどんな歌でもこなしたのだが)。それだけオリジナルのヒットが少ない。いや、これは三橋と較べるからで、普通の歌手というのは2、3曲あれば十分だ。僕はコブクロが好きで色々と識っているが、ぜんぜん興味のない友達に聴いたら、レコード大賞を取った「蕾」より識らないという。まあ、そんなもんだろう。でも後輩に(春日の方がデビューが先だった)あんなスゴイのが来たらさぞかし焦ったろうと思う。いや「ヒットさせればイイってもんじゃないよ」と開き直っていたか。

全盛期は今言うようにヒットでは到底三橋に敵わなかったが、春日が明らかに「どんなもんじゃい」とふんぞり返ったのは、晩年だった。三橋美智也は四十年代にはもう燃え尽きていて、映像が多く残っている五十年代にはもう往年の輝きはなく、ただ「三橋美智也」のブランドだけでステージを務めていた。亡くなる直前の「夕焼けとんび」の映像があるが、かわいそうになるくらいである。その点、春日八郎は衰えなど全く見せず、むしろ年々進化して行った。同じく最晩年にヒット曲「長崎の女」を歌う映像があるが、少なくともあと10年は歌える……それほど光を放っていた。祖父は彼が大好きで、「こんな上手いひとは100歳ぐらいまで生きてほしい」と言うが、ホントその通り。ただただ惜しい。せめてリアルタイムで歌声が聴きたかった。

春日は福島県出身で、トークなどでは少々訛る。それがイイ。もちろんヒット曲の「赤いランプの終列車」「山の吊橋」「別れの一本杉」「あン時やどしゃ降り」は外せないが、僕の捻くれた趣味的なことも関係するけど、むしろ中ヒットか全然浸透しなかった曲の方が好きだ。それらの歌たちには、どこか野原に咲いた草花を連想させる。花屋にあるように花とちがい、脚光を浴びることはないが、僕は名もなき花にこそ愛おしさを感じるし、花の本質(こんなものがあるのか知らないが)はそっちにあるように思う。曰く「ごめんヨかんべんナ」「別れの波止場」「瓢箪ブキ」「妻恋峠」、ことに「小雨の駅にベルが鳴る」なんて、何故これがヒットしなかったのだろうと、当時のひとの感性を疑うほどの名曲。ひょっとしたら同系統の「赤いランプの終列車」よりすばらしいかもしれぬ。

カバー曲の話をしたが、春日八郎歌う「星影のワルツ」なんて千昌夫の比じゃナイ。いっとき僕は世の中の曲を全部、彼が歌えばイイのに……と思ったほど。徳永英明がカバー曲集を出したが、これの元祖は八っちゃんである。つまり、いい曲に恵まれなかった。いや、いい曲を歌ったけれど世間にウケなかったのだ。何も解っちゃいない。僕は大好きである。