その1 三橋美智也

三橋美智也――僕が一番好きな歌手だ。歌い手と言った方がいいかもしれない。いまの人は識らないと思うが、昭和30年代に旋風を巻き起こした。18枚がミリオンセラーになり、生涯でレコードを1億枚売ったスゴイひとである。このひとはこういう歌を歌っていて、そこにはこういうことが描かれていて・・・などゝ説明しても恐らく解ってもらえないので、数字を挙げました。数字に弱い僕が。でも昭和30年代というと、いまみたいに音楽再生機器が普及していなかったので、現代の基準でこの1億枚を見てはいけない。しかも三橋美智也のヒットの大半は昭和30年代なので(というか、そのあとはヒットが出なかった)爆発的な人気であったのが解る。もっともこの人気はブームだったので、出せば何でも売れたのかもしれないが、当時のヒット曲を聴いてみるとやはりイイ。とにかく上手い。三橋美智也は北海道出身で小さい頃から波を相手に発声練習したらしい。だから彼の歌声はよい意味で田舎くさい。都会の歌も歌っているのだが、それは田舎から出てきた者が都会を見て――つまり間接的に故郷を想って歌ったものだ。したがって三橋美智也の歌声は温かいのだ。感情を込めて歌わないひとだったが、温かみがある。何でも感情を込めりゃイイってもんでもない。無表情で泣き笑いを表現した方がスゴイじゃないか。

『東京見物』という曲がある。曲自体は前々から識っていたのだが、ちゃんと聴いたのはつい最近のこと。ヒットを連発した三橋だがその反面、駄作もいっぱいある。よくこんな歌を天下の三橋美智也に歌わせたなと思うものがある。なので、どうせ『東京見物』も、東京の名所を並べたツマラナイものだと期待したいなかったのだが、ラジオで聴いてびっくりした。三橋版『東京だよおっ母さん』だったのだ。別にびっくりする代物じゃないけど、全然イメージが違った。まるきり逆だった。東京見物をさせようと言っていた兄貴が戦死したので弟が代わりに母親の手を引いて見物をさせる・・・というストーリー。二分弱の短い曲。でもすばらしい。だいたいダラダラ長いのはよくない。いまの歌はみんな長い。気持ちを素直に書けばいいと思って、気持ちが多けりゃ多いほど長くなる。このころの歌は平均3分以内、長くても4分以内には収まっていた。無理やり収めたんじゃない。収めることが可能だったのだ。つまり、気持ちを「行間」に込めるのだ。むかしの人というのは頭がいいからこの行間というのが読めた。いまは読めない。だから十のことを伝えようとしたら十説明しないと解ってもらえない。

あと民謡出身の三橋には芝居の素養がなかったのでセリフもない。でもセリフなんてのは、歌で補え切れないところをカバーするものなので、本来ないのがいい。浪曲歌謡は別だけど。曲が短いし、お千代さんみたいに泣かせるセリフもないし・・・でもこっちの方が断然ぐっとくる。何故か。無駄に曲が明るいからである。悲しい心を悲しい曲調で表すのは誰でもできる。しかし『東京見物』は母および弟の気持ちをよそに曲全体が明るすぎる。三橋美智也には『雨の九段坂』という曲もあるが、これも同じである。脱線するがこちらも泣かせる。何せ間奏に「うさぎ追いしかのやま」の『ふるさと』を入れたのだから。で、『東京見物』だが、悲しい上でもこの母子は気持ちの整理が付いているのである。いや、無理にそう振舞っているのかもしれない。ここが『東京だよおっ母さん』との大きな違いである。趣向は同じだが、そういう意味では「三橋版――」と称したのは訂正すべきかも判らない。「戦争」というものを全く知らずに育った(もちろん話では聴いているが、体験していないのだから知らないのと同じ)僕でも、一流の戦争モノは泣ける。『玉砕硫黄島』という浪曲で、宮城(皇居)を指して敬礼をするところなんか、号泣であった。別に嬉しくないケド、俺も日本人だなと思った。

三橋美智也のことを書くつもりが何だか判らないようになってしまったが、とにかく一度聴いてみてください。オススメはこの『東京見物』、それから『古城』『達者でナ』『リンゴ村から』『哀愁列車』・・・と挙げれば切りがない。ヒット曲集なんかには、イイのばっかり入ってる(とも限らないが)のでだいたい間違いないと思います。ネットにも結構上がっているし。僕も無理にレミオロメンとかアクアタイムス、またはflumpoolとか聴いてるんですから、ちょっとはこっちの方にも目を向けてくれないと卑怯ですよ〜!で、flumpoolの『星に願いを』なんか、歌詞においては全然共感できないけど、メロディーが最高にイイ。これを三橋美智也に歌わせたら・・・。